写真と動画で散歩

ストレンジャーが見た今は亡き大牟田

炭鉱は1997年3月に閉山しました。

家で現像できる白黒フィルムを詰めた古いカメラを持ってあちらこちらウロウロしています。

ネーブルランドの跡地に行ってみました。

 


 

 


 

 


 


坑内電車が置かれていました。
野ざらしのままでした。

 


 


看板が転がっていました。

 

 


 

 

定番コースの三池港に行ってみました。
いつもの通り島原からの船が着きました。
他に何もありませんでした。



 

 

三池海水浴場も灯台と海苔網と夕陽。いつもの顔ぶれのままでした。


 

 

大牟田の街には何もありません。

 

 


 

 

新栄町に行ってみました

 

西鉄の終点は大牟田駅、新栄町はその一つ手前の駅です。

 

駅がつくられ、駅前にバスターミナル・デパート・スーパー、 ショッピングセンター・飲食店街・などがつくられたのは昭和45年だそうです。

流れ着いたわたしは詳しいことを知りません。

 

デパートがあったレンガの外壁の建物のシャッターは アレから開いたことがありません

このビルも壊されてもうありません。

 

 

建物自体消えてしまいました。
あとはご覧のとおりのシャッターに挟まれた通路でしかありません。

今も営業している商店は4〜5軒

 

三池工業高校の前を通り過ぎ、炭鉱電車の線路跡に沿って行くと宮原坑が見えてきます。

その先には最後まで残った臼井社宅跡が広がります。

真ん中を貫いていた大通りの両側には銭湯・売店・保育園などがあり、つい最近まで理髪店がポツンと 営業していました

一歩入った場所は2000年4月に建物が取り払われ更地になりました。
舗装された路地の両側は草が生い茂り立ち入ることはできません。

臼井社宅の南東側に広がっていた野添社宅は消滅した時期はわかりません。かなり以前だったと思われます。

その一角に、草木が刈り払われかろうじて地面が露出している場所がありました。

老婆がひとり立って何かを見つめていました。

彼女の眼に映っているのは何でしょうか

 

無くなるもの、亡くなるもの、失われるもの

悔しいですが今の大牟田にはそんなものが溢れています。

20代で大牟田に来て30代・40代。家族の日々と一緒にあったものが次々と失われていくと胸にズンときます。

 

まだ続きます。また見に来てください。  


 

2004年の秋です。 三池港に行ってみました。

 

いましたよ。

 

いつも釣り人の姿はほとんどなく、タグボートが2隻ひたすら眠っている三池港の水門で仕切られたところに全部で8隻も避難していました。

 

まず有明フェリーが3隻。

 

 

もう出港の準備が始まっていました。

 

 

 

少し離れた場所に泊まっている船を見てびっくりしました。

 

 

〜〜〜 ここからは写真をタップしてください。大きくなります。

 

 

 

 

「久米島」ですよ。沖縄の那覇と久米島を結ぶフェリーです。

 

船員さんに聞いたら、台風の時はほとんど三池港に来るそうです。

 

久米島フェリーの他には有明海の調査と清掃をする特殊な船も。

 

6隻目は熊本−島原間の高速フェリーです。

そして、三池港を発着している船が 島原鉄道の高速船です。
水門を出て外港に入ったところです。これは、現役を退いた一世代前の船です。それでも十分に速いんですが。
残りの一隻はこの現役船です。これは、もう写真をたくさん出しているので今回は省略します。

今回はまるで船のマニアのような話しでした。

 

 

有明海です。 有明海といえば、ムツゴロウと干潟が定番ですね。

ですが、そんなもんは他のホームページにごろごろころがっていますのでそっちで見てください。

次は港の大型機械です。

アンローダーというそうです。

おっとIEはモニターの画面サイズに縮小して表示するので小さくしか見えませんね。

 

最近ぶらっと行ってみたら壊されてなくなってました。

石炭火力発電所です。動いていません。

 


 

今2005年9月

1年ぶりです

たぶんまだ延々と続くでしょう。

ヒマなら来てください

 


 

今2008年4月

 

大牟田の話です

新栄町は廃墟になり、松屋デパートの跡は更地なりました

写真は、まだです、もういらないかも......2009/1/27

 

 

つづくかも